拡大する二つの宇宙ミクロコスモスとマクロコスモス

20世紀の後半になって、人類に飛躍的な「視野の拡大」をもたらしたものは、なんといっても、1950年代に起った「DNA分子構造の発見」と「コンピュータの実用化」である。この超弩級の科学技術的成果によって、人類は、これまで技術的に解析不可能とされてきた未知の部分・・・すなわちミクロコスモス(人体)とマクロコスモス(大宇宙)の両方で、その視野を拡大し、新たな挑戦を試みるようになった。そして、初めて大宇宙への挑戦を試みた人たちは、すでにこんな言葉を発している。

「ロケットの発射を見たことがあるかね。空に向ってそびえ立っている巨大なロケットのそばにいる人間は、まるでハエみたいにちっぽけに見えるんだ。小さな閃光が走ると、轟音が空気を粉々に引き裂き、白い煙があたり一面に広がる。ロケットは上昇を始める。無限の彼方へ向ってね。そこで、思わずこんな不敬なことを口走ってしまうんだ。神よ、あなたのしっぽをつかまえましたぞ、ってね」

「天には神はいなかった。あたりを一所懸命ぐるぐる見まわしてみたが、やはり神は見当たらなかった」

たしかに、これは視野の拡大による新しい知見である。しかし、これらの知見が本当に定着するためには、人類はなお、長期にわたって挑戦を繰り返さなければならないだろうし、混沌と葛藤のプロセスを経なければならないだろう。

一方のミクロコスモスの部分でも、新しい知見が生れつつある。最近の状況を少し説明すると、生物が細胞内に共通して所有しているDNAが、その分子構造の中に遺伝情報をもち、それを親から子へ伝達していくというモデル化が完成したために、遺伝情報の複製のメカニズムが明らかになった。また、コンピュータ内部の情報の複製や記録の働きについても、それは本質的に生物の遺伝情報と同じではないかという理解が広まってきた。

さらにまた、人類の精神的文化が世代から世代に受け継がれていくことも、遺伝という生命現象とまったく同列に論じることができるようになった。つまり生物には遺伝子(ジーン)と同時に、もう一つ「ミーム」という遺伝外情報を伝達する因子があり、これが生物の集団的行動様式を情報として受け継いでいくと理解されるようになった。

しかもこの遺伝外情報の部分は、DNAと違って、生物学的な拘束から離れているので、コンピュータなどの機械を使うことによって、その蓄積量を飛躍的に向上させることが可能である。実際、今日のコンピュータや通信などの情報分野における技術革新は、かつての産業革命における熱エンジンと同じように、人類という「種」にとって決定的に重要な役割を果し始めている。

もう一つ、注目すべき点は、コンピュータのもつパワーが、単に「遺伝外情報」の領域にとどまらず、「遺伝子そのもの」の領域にまで及びつつあるということである。人間をも含めた生物の複雑な遺伝子の情報的内容の解明が、今やコンピュータをフルに応用した技術によって驚異的なスピードで可能になりつつあり、遺伝情報の解読や操作は完全にバイオテクノロジーの俎上にのっている。

遠からず人類はバイオテクノロジーの時代を迎えるにちがいない。そのときに、人間が形態学的に急に変化するとはもちろん考えられないが、しかし遺伝子が操作され始めれば、長期的にはその可能性がまったくないとはいえない。今まで遺伝子の領域は、技術的に人間の手が及ばないところであった。それだけに人為が加わらず、いわば「神の手にゆだねられた領域」として非常に安定していた部分だったわけであるが、そこが人間の選択によって操作可能ということになれば、少なくともわれわれの知識体系は、それこそ「種」が変るぐらいの大きな変革、拡大を経験するだろう。

こういう拡大の時代になると、コスモスに内在する最も原理的な構造を垣間見るチャンスにぶつかるものである。拡大が起ると、どこかに必ず亀裂が生じて、その亀裂から、今までの体系とはまったく矛盾するような、どうしようもなくネガティブなものの存在が見えてくる。おそらく、原理的にいえば、それは今までの体系と表裏になって存在してきたはずのものであるが、それまで亀裂が起らなかったために、それを垣間見るチャンスがなかったのである。逆にいえば、それまでは表の存在だけで事足りていたということである。

ところが、急拡大が起ると、裏の存在が見えてくる。そこで、初めのうちは裏の存在を否定しようとか、あるいは表の存在に疑問をもつとか、いろいろなことを考えて混乱し、不安になるけれども、逆に、裏の存在が見えたことによって、なるほど、今まで自分たちが安住していた表の存在というのはこういうものであったのかという、自らの存在に対する再確認、つまり基礎固めができる。

これはよく用いる比喩であるが、ユークリッド幾何学が一つの体系として完全になったのは、ユークリッド幾何学自身だけでそうなったのではなくて、非ユークリッド幾何学ができて両者の共存が確立したときに初めて、それぞれが完全になったのである。したがって、拡大・激動の時代には、そういうとらえ方が強く要請されるのではないだろうか。

— posted by 本郷 at 12:33 am