戦略的思考法としてのデュアル思考

今、日本が直面している「国際化」の問題も、同じような理解をすべきではなかろうか。かつての日本は、一つの伝統的文化をもった小さなコスモスと考えられる。ところが今、自由世界のGNPの11%を占めるまでに拡大したことによって、3%国家時代にはほとんど経験しなかったような、抜き差しならない構造上の問題にぶつかっている。従来であれば、異国趣味、舶来、ハイカラさん、といった程度で適当にお茶を濁すこともできたけれども、今やそんなことではとても納得してもらえないほど、力強い存在になっている。

そうなると、一方で「世界の平和のために日本文化を変えろ」というような声さえ出てくるのだが、他方、現実に日本文化は、すしにしても、しょうゆにしても食生活の分野においてさえ世界への拡大が起っており、ある意味で自らを強化し、それを確立するような現象が同時に起っているのである。

一般に、反論なき論証の多くはトートロジー(いいかえ)にすぎず、むしろ強力な反論があり、にもかかわらず、やはり無視できないという理論が最も有効であるといわれる。今の日本はまさにトートロジーを超えた段階になったのであり、強力な反論を受けながら、なおかつ無視できないという存在になっている。

だから、われわれにとっては、適切な摩擦は「理論を有効にする反論」に等しく、必ずしも摩擦をゼロにすること自体が理想ではない。外国からの日本に対するいろいろな注文、反論、指摘というのは、むしろわれわれが厳然と存在し、われわれが強力であるという一つの証明でもある。そういう視点を国策の基礎に据えて、国際化に対応する構造を構築することが、日本の現実的な課題ではないだろうか。

このように、日本が当面している国際化の問題にしろr遠からず顕在化してくるであろうバイオテクノロジーの問題にしろ、完結していた一つの体系が拡大するときというのは、必ずそこに、それ自体が内包している「逆説的な構造」・・・つまりAがあれば必ず非Aがあるという構造がはっきり見えてくる。

これが、まさに「デュアル」な見方である。物事を深く、広く理解するためには、とくに今日のような激動する拡大の時代においてデュアルな考え方はきわめて重要であり、このデュアル思考があってこそ、われわれの作業は動的になり、かつ持続的な繁栄も可能になるという考え方が出発点である。

— posted by 本郷 at 12:47 am